先週、私たちは川端康成の二つの短編、「写真」と「心中」を読みました。彼の短編は、前読んだ作者の作品と違って、何か愛に対する感じを読者に伝えるために文章を書いたようなイメージが残りました。
まず「写真」は、男が過去の恋人と一緒に撮った写真を見ながら、昔の思い出を回想して、複雑で矛盾する心理を抱く話です。突然彼女を美人だと発見して、ずっと彼女がこの写真を見る時の反応を想像するという表現は、実は愛がまだ消えていないことの証明じゃないでしょうか。そして最後川端が使うあのダッシュは、色々な意味が隠れていると思っています。想像の中で生まれる彼女の「私」に対する印象は、実は「私」が彼女にどの程度の好感を持っているか、ということでしょう。これを隠すのは、あるぼんやりする美感があります。
一方、「心中」はちょっとおかしい話を描いています。どうして妻は夫を嫌って家から逃げたのに、彼の手紙を読んだらあんなに嬉しくて、何の指示を聞いても、最後に自分と娘の命を絶つのでしょうか。やはりそれぐらい恨みがあるなら、それぐらい愛があるということですか。その感情は重すぎて受けられないので、三人が全員死んでしまうかもしれないかと、私はずっと考えていました。
確かに「心中」には、いろいろな密かな描写がありますね。いつも新しい方法や視点からみたら、きっと新しい考えも生まれる。
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